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アニム~マニアの部屋
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ガンプラキットにも

新旧があり

ワタシは、旧型を好んでいる

これは

とくに

旧型の ザク という意味では

けっしてない

1990年代前半ごろまでに発売され、後述するHGやHGUC等に該当しないものは便宜上旧キットと呼ばれている。
1/144と設定されたシリーズはもともと『ベストメカ・コレクション』といい、当時の特撮番組やロボットアニメに登場したロボットやメカを立体化するバンダイのブランドでガンダムはNo.4である。
300円程度の価格であり、システムインジェクション(いろプラ)技術が導入される前のキットであり、パーツ分割に設定の色分けがほとんど考慮されておらず、3色に色分けされたガンダムの胴体も白単色で成型されていたため、設定色のイメージに近づけるのであれば塗装が必要だった。
また、スナップフィット技術が導入されていない1980年代半ばまでのキットは、組み立てに接着剤を必要とし、平行四辺形の袋に入った接着剤が付属していた。
後のHGやMGと比べると可動部位が少なく可動範囲も狭い、特に初期の商品では試行錯誤がみられ、1/100ガンダムでは腹部の装甲が無く、股関節と足首が可動しない、1/144ザクは足首が可動しない、肩のスパイクアーマーが一体など、顕著である。
これらは初登場以来、四半世紀を経ても再生産が重ねられている。
MSV以降ガンプラは専門のブランドとして独立し、一部の旧キットであらかじめ必要な塗装を施したフルカラーモデルというシリーズも存在しており、ガンプラ生産10周年記念に作られた限定モデルもこの仕様で販売された。


旧キットという言葉は『機動戦士ガンダム』他、アニメが製作された当時に発売されたキットを指す意味で用いられるが、ザクレロなど一部の機体は再キット化されていない。

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ガンプラの種類のおさらい

まとめ

通常プラモデルはプラスチック用接着剤でパーツを接着し、塗料で塗装して組み立てるが、ガンプラは1988年以降、接着や塗装をしないで組み立てても、設定色に彩られた完成イメージになるよう設計されている。
接着剤を用いずに組み立てられる「スナップフィット」や、色分け済みパーツ「いろプラ」などの採用で、プラモデルの組み立てに慣れていないユーザーや若年層への浸透を図り、古くからのファンにはMG等の高価格帯の製品を用意する販売戦略をとっている。
高価格帯モデルにもスナップフィット・いろプラは採用されており、接着剤や塗料などを利用してより高度な仕上げを行うことも可能。
逆襲のシャア以降のシリーズでは、関節の一部にビスを使って固定する方式が採用された。
塗装用として、各キットごとに必要な調色を施した「ガンダムカラー」や、低年齢層向けのペン型「ガンダムマーカー」といった塗料がGSIクレオスより発売されている。



ではまだ

勉強することはあるのかな・・・・・
ガンプラの主な縮尺は三つで、設定上の頭頂高が18.0mのガンダムの場合、以下のように換算される。


1/144……約12.5cm
1/100……約18cm
1/60……約30cm
このうち、最初に登場した1/144の縮尺は、パッケージに合わせて計算したら偶然にも国際スケールと合致していたため採用されたもの。
『機動戦士ガンダム』当時のアニメモデルは、パッケージの大きさに合わせてスケールが前後し統一されていなかったが、スケールの統一はガンプラのヒットの要因の一つとなった。
またこれらのサイズの分類にはその後それぞれ、HGUC、MG、PGシリーズという高価格バージョンも商品化されることとなった。


昔のガンプラはすごかった!!!

では、その写真を随時UP

そのまえに

歴史を語る

1980年7月発売の「1/144(144分の1)ガンダム」を初めとして、『機動戦士ガンダム』の放映後に発売された「ガンプラ」は、最初は同時期の子供向けロボットプラモデルの中では特に目立つ商品では無かったが、モデラーがミリタリーモデル(実在の兵器のモデル)の発想で改造を施した作例が、模型雑誌「ホビージャパン」別冊の「How to build Gundam」に発表されると小中学生を中心にブームが起こった。
さらに1981年に創刊された「コミックボンボン」はガンプラを前面に押し出した誌面構成を行ない、ガンプラとは無関係な「てれびくん」も、一時期ガンプラを掲載していた時期があった。


ガンプラは日本のプラモデル史上最大のヒットでバンダイを模型業界のトップに押し上げた。


ガンプラは1/144スケールで1個300円程度からと、男児向け玩具としては超合金シリーズ等と比べて低価格で、一時は模型店で品切れを起こす店が続出した。
このため当時の新聞に「機動戦士ガンダム、販売に機動力なし」と書かれた。


1982年1月24日には、千葉県のダイエー新松戸店でガンプラを購入しようと開店と同時にエスカレーターに殺到した小中学生250人による将棋倒し事故が起こるなど、社会問題にもなった。
(ガンプラ将棋倒し事故)

この事故は品不足が原因とされ、メーカーにも責任があるという風潮が高まり、かねてより疑惑があった「生産調整」の批判がさらに激しくなった。
イメージ低下をおそれたバンダイは事故後、ガンプラの生産ラインを確保するためにスケールモデルの生産を中止した。
これはスケールモデルとガンプラの抱き合わせ販売が行われているという疑惑に対応したものでもあった。


市場の需要に対して供給が間に合わず、中小の小売店でガンプラの慢性的な品切れ状態が続き、この品切れ状態がニュースに取り上げられガンプラを求める子供達の購買欲をさらに刺激する事になる。
「故意に品薄状態にしてるのではないか」と怒りの声が出るが、需要は既に工場が受発注できる遥か限界を超えていて、製造ラインを増やそうにもコストやリスク面、資金の調達や人員の確保等の問題もあり早急な対応は物理的に不可能な状態であり、子供達がガンプラを求めて狂奔する最中、工場ではパートの女性が自分の身の丈はあろうかという荷物を力技で梱包していた。
バンダイはこの騒ぎを沈静化するため対応に追われ、梱包されたガンプラが工場からトラックで全国に配送する様子をテレビや新聞に公開して品薄騒ぎも徐々に収まることとなる。


ガンプラ以前の、ミリタリーなどを専門に作っていたプロモデラー達も戦々恐々とこの事態を見守っており、ガンプラの制作依頼がきた時は「ついにガンダムもここまできたか」と天を仰いで観念したモデラーもいたという。


ガンプラの品薄状態に便乗して、名前やパッケージを似せた商品(「ザ★アニメージ」「モビルフォース ガンガル」等)も出回った。
このブームに合わせてバンダイも次々と『機動戦士ガンダム』に登場した兵器等をキット化し、ほぼ全てを商品化した後は、アッグシリーズのように本編未登場の兵器もキット化されて『モビルスーツバリエーション (MSV)』 の展開へと繋がった。
これらの一部は、後に製作された『機動戦士Ζガンダム』や『機動戦士ガンダムΖΖ』に追登場した。


ブーム後も販売は継続され、その人気の根強さはバンダイに「男の子のサンリオ的な商品としてガンダムを育てあげたい」という方針を取らせた。


その後も後続の作品群・ガンダムシリーズの展開に合わせて数多くのキットが発売され、旧作のキットもモデルチェンジと再生産が行われている。
1990年代中頃よりMG、HGUCといった高級モデルも展開された。
模型店、玩具店以外にも家電量販店など販売場所も増え、ガンプラの出荷数は国内外の累計で3億8900万個を突破している(2008年3月時点)。


従来に比べて価格は上昇傾向にあり、2008年2月27日には、検討中という形で、MGとHGUCの定価を5月頃から現在よりも10~20%ほど引き上げるとバンダイが公表していた。
これは全商品を一気に上げるのではなく、再発売時にそのモデルから値上げという形を取るものとしているが、2010年1月現在で値上げは行われていない。
ガンダム00シリーズに関しては、最初からその価格上昇分を見越した価格設定だとされている。
バンダイ広報部は「新たなパーツやブックレットを付けるなど、付加価値のある商品仕様に変更して、価格を改定する」としている。
2008年9月に再版の「SDガンダムちーびー戦士」シリーズは、全商品が初版よりも100~200円上乗せされた価格で販売された。

アニム~好きの 
私が つづる アニオタ日記

今日からはじめてみまっする

どんな内容にするかは秘密の アッコちゃん

だから

マイペースですすめる四さま

こんな感じです。


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